仏教、禅をされているSONGWEIさんの感想

体験談

1、年齢、性別  五十がらみの男

 

2、名前 SONGWEI

 

3、受講のキッカケ
 学生時代はK大学で仏教学を専攻し、卒業後商社に勤めて東京で妻子と暮らしていたが、離婚を契機に単身東京を離れ、岐阜や滋賀の寺を転々とし、得度して比叡山で加行を修めた。が、もともと高校生のとき仏教に興味を持ったのは、寺も宗派も捨てて社会の底辺で暮らした良寛和尚や桃水和尚といった禅僧の生き方にあこがれたからであったため、寺の住職だとか坊さんの地位や肩書きに興味を感じず、滋賀の山寺を下りて岐阜の障害者支援施設で働きつつ、白山を始めとする山々を独りで登拝して十年以上がたった。坐禅会は続けていた。

 

その間、仕送りを続けてきた息子たちと十年ぶりに再会したり、別れた妻がガンで亡くなったりした。精神を病んだ妻とはいつか和解できるだろうと思っていたが、その早すぎる死に私の心のバランスは大きく揺らいだ。東京を出て仏道を学び坐禅を続けてきたが、一体自分の何が変わったというのか・・・自分は変わらずに、周りがどんどん変わってゆくばかりだった。

 

坊さんたちの不祥事も続き、仏教のみによる救いに幻滅を感じて神道、修験道と学んでゆくうち、修験道は神仏習合のみならず、道教からも多くの影響を受けていること、そして道教にも坐禅に似た瞑想のあることを知った。

 

岐阜周辺でそのような瞑想を教えてくれる人がいるか調べてみると、彦根におられることが分かった。寺の坐禅会や講習会に比べると料金はかかるが、一対一のレッスンであり、また、今までの経験からタダほど恐いものはないと感じていたので、月一回受講してみることにした。

 

列子は一時期、人の運勢を占う神巫に傾倒していたが、その神巫が列子の先生の相を全く見抜けず逃げ出したのを見て、虚飾を捨てて素朴さに復ったという。そのような気持ちで受講を始めた。

 

4、受講を受けての感想
 それまで「気」というものには、手をかざして病を治すとか、西洋医学を軽視するといったいかがわしいイメージを抱いていた(実際、そういう人を見てきたので)。が、先生の教えてくださる「気」は確固としたものであり、西洋医学と相反するモノではないことが分かった。
 受講前は、人と握手した際に手が冷たいとよく言われていたが、受講を始めてからすぐ、手がいつも温かくなるようになった。気血のめぐりがよくなってきた。

 

長年やってきた坐禅がマンネリ化して、腹式呼吸がキチンとできていないことなどに気づかされた。お寺の坐禅会では、有無を言わさず「形」から入ることが多く、数息観はやっても腹式呼吸がキチンとできているかまで丁寧に指南してくれることは稀。先生は「形」だけでなく、なぜそうするのがよいのか、なぜ目は半眼なのか、何のために揺身するのかなども教えてくださる。

 

感情のコントロールは、まだまだ。できるようになったなどと慢心すると、ヒョイと何かしでかして落ち込むことになる。しかし、自分の「今」の感情に気づけることは増えてきたと思う。
 先生の謙虚さ、知ったかぶりをなさらない姿勢にも学ばされる。お寺の師匠さんには、居丈高で頑固な人が少なくなかったので・・・。

 

5、受講のペース
 月一回。次回までに、教わったことを自宅で適時練習。腹式呼吸やスワイショウなどは、職場でもできる。

 

6、今後の目標
 「気」の鍛錬をしつつ、天地自然の道にかなった人生を送りたい。「神」や「仏」や「仙人」になるよりも、素朴なものでありたい。「鋭さを弱め、もつれを解き、光を和らげ、塵に同じる」(「老子」)ようでありたい。

 

7、一言
 お寺の坐禅会に飽き足りない人にオススメ。禅病の人にもオススメ。